津波遺構
2018-06-07


前にローカルニュースで見て、いつか行ってみたいと思っていました。
被災地でそれぞれの語り部ツアーが企画されていて、どれが一番とか順位をつけることは出来ませんが、でも、今回の「学ぶ防災」はちょっと特別でした。

かつては万里の長城のようだと言われ、過去の津波のたびに長く、そして高く作られた防潮堤。そこで暮らす人々は、この町だけは大丈夫と思っていたらしい。
しかし、そんな防潮堤も今回の大津波から町を守ることは出来ませんでした。
大きな防潮堤が、むしろ町民の視界を狭めてしまった。避難を送らせてしまいました。
作った年代によって、防潮堤の構造が全然違うことも知りました。
今のようにコンクリートの中に鉄骨が組まれているわけでなく、
土だけだったり石垣だったりと、その構造によって破壊されたり残っていたり。
(下の写真を拡大するとわかりますが、田老には大きな防潮堤が3つありましたが、町を守ることはできなかった)

禺画像]

私たちはわずかに残った防潮堤の上に立って、その説明を聞きました。
またボランティアさんの車に乗って高い建物の下まで連れて行ってもらい、津波が来た高さを体験したりしまいた。
たくさんの避難所(小高い山)の登り口を見ることもできました。
建設中の、これまでよりもっと頑丈で高い防潮堤の現場も見せてもらいました。

そして一番の目玉(こういう言い方は不謹慎だと思いますが、どうしても多くの人にこれを見てもらいたいと思うので)は、
田老観光ホテルの社長さんが、ホテルの最上階の一室から撮影していたという津波の映像を、実際にその部屋で見ることができるという体験でした。
 ※下の画像でいうと、6階の一番右側の部屋です。

大きなテレビの画面と窓から見える風景がほぼ一致しており、
あの山の高さ、あの灯台、あの建物のあそこまで…と見比べながら、まるで自分が津波が押し寄せる瞬間をリアルに体験しているような、そんな体験。
うまく言葉で表現することは出来ませんが、
まさかあんな大きな津波が来るとは誰も思っていなかった、
その様子が映像に映っている住民から見受けられました。
すでに防潮堤の向こうに大きな津波がやってきているというのに、住民には全く見えない。
時速100キロで防潮堤を超え、破壊し、津波は住宅街に押し寄せて来ました。
ホテルの6階にいた社長さんにしか見えない、その恐ろしい風景。
ゆっくりと非難を促している消防自動車がいました。
何かを取りに自宅に戻ったというおばあちゃんは、トコトコと家から出てきました。
大声で逃げて逃げてと叫ぶ社長さん。
しかし、あっという間に津波が、それらの風景をのみ込んでしまいました。
その迫力は、今までテレビで見た映像より凄まじかったです。

禺画像]


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[旅 * 東北]

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