ラグビーの思い出
2019-10-05



1959年、自分は岩手県釜石市で生まれ、
父はラグビーが強い高校で働いていたこともあり、
幼いころから「サッカー」より「ラグビー」を見ていた我が家でした。
しかしラグビーのルールがいまいち分からず、テレビの前で盛り上がっている父と兄に「なんで?」「今何してるの?」と聞いたろころで、返っていた言葉はいつも同じ。
「ゆっこ、今いいところだから!」
「うるさい、ゆっこ!」
「ちょっと黙ってて!」

そして1979年。
忘れもしない私の成人式は、国立競技場で行われた全日本選手権の日。
社会人の勝者と大学の勝者が日本一を決める試合に、
松尾が率いる新日鉄釜石が挑んだという、それはそれは岩手県民には忘れられない試合でした。
盛岡は半端ない積雪、しかも吹雪。
写真館から電話したら、父も兄も言いました。
「ゆっこ、今いいところだから!」
「歩いて帰って来て!」
え〜っ!嘘でしょ〜!
仕方なく私は、除雪されていない雪の中を振袖姿で歩いて家に帰りました。
(悲しいというより誰かとすれ違うたびに恥ずかしいw)

それからラグビーの試合といえば、もう一つの思い出が、晩年の父。
「今日の試合でテレビに映るから見ててね!」と言うので、
またか、と思って見ていると、
岩手県大会の会場の、ずっと遠くの堤防みたいなろころを、行ったり来たり歩いているおじいさんがいて、試合中ずっと映ってる。それが私の父親で。
一応宮沢賢治を意識して、手を後ろでつないで少し前かがみに歩いてる。
なんだ、試合の応援しないんかい!(; ・`д・´)
すると夜に必ず、「見た?」と電話が来て、
「見たよ!」答えるとそれで満足。
録画してみんなで見てる、なんて言ったものなら大喜びで。
あれはある意味、親孝行だったと思います(笑)

さて、新しいラグビーの思い出がまたひとつ出来ました。
それは、昨日のこと。南アフリカ対イタリアの試合を観ていたときです。
みゃむが突然言いました。
「ゆうこさん、今、なんかねば〜る君みたいな人いた!」
え?
一応ねば〜る君が分からない人のために一応、これです。

禺画像]

え?え?え?
みゃむの言いたいことはわかります。
おそらく、これだよね。

禺画像]

いつのまにか、こんなことするようになって、
確かに最初に見たときは私も驚いた(笑)
ずっと前からやってるよ、と教えたら、「え?そうなの?」
試合そっちのけで大笑い。

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